2023/02/01

 

 

 毎朝化粧をする時に目につく、顎に出来たニキビを見る度に溜息をついている。食生活の乱れだな、と思って改善を試みるけれど、ストレスのはけ口のひとつとしての飲み食いが収まらなくて、その度に少し落ち込んでいる。調子が良い時と悪い時の差が激しくて、悪い時はもう本当に酷く、保っていたバランスを崩してしまうともうぼろぼろになる。

 高校生の時、母が作ったお弁当を捨てていたのがバレて、バレたけれど叱られることもなく、ただ、「食べられなかったら残していいし、小さいお弁当箱にしてもいいのよ」と静かに、少しだけ悲しそうに言われたことがある。なんとなくそのことを思い出したのは、最近久しぶりに母とゆっくり話す機会があって、自分が高校生の時から、母は1人で摂食障害の家族会に通っていたということを初めて知ったからだった。

 どうしても学校の教室に入ることができなかった14歳の時、同時に食べることが恐ろしくなり、みるみる痩せていく身体に安心感を覚えた。そこからあれよあれよと崖から落ちるように、言葉通り堕ちていってしまった。本当に、長い闘いだった。もう10年以上が経過した今現在の感覚としては、職場に必ず1人2人はいるあんまり得意じゃない人と、付かず離れず上手くやっていくにはどうしたらいいかなあ、というようなもの。辛い毎日だった。思い出したくもない10代の記憶は、思い出すこともなくぽっかりと抜け落ちている。

 26歳になった今、また違うベクトルの辛さでもう生きていたくないと思ったり、しょうがない生きてやるかと思ったりしながらなんとか生活を継続させている。お酒に頼ったり、偏食を起こしたり、たまに手首や腿にカミソリをあてることはあるけれど、心と身体のバランスに均衡がとれていることなんて殆どなくて、最初から私はこういうもうどうしようもない人間で、誰のせいでもなく、生まれ持ったどうしようもない性なのだという諦念がある。アディクトな人間がいる。それはもうしょうがないことなんだと思う。だましだまし、それでも生きていければいいと思う。