2026/09/16

 

 

 

 

今年の夏は短かった。私は夏の暑さにすぐやられてしまうので、うだるような暑さが続くよりかは良い。けれどあまりに短かったのでなんだか変な感じ、違和感を感じる。しかし夏が嫌いなくせして今年は花火も見たし、海にも行けたし。言うことない。浴衣が着れなかったのは残念だけど、それは嫌いな夏を乗り越える楽しみとしてまた来年以降にとっておく。

 

最近不安に思うことの1つは職場の後輩の元気がないこと。去年まで教育係として仕事を教えていたので余計に心配が大きい。とにかく毎日ぼうっとした顔で心ここに在らずといった感じで仕事をしている。どうやら仕事自体が負担というよりかはプライベートなどよりパーソナルな問題で不安定になってしまうという。最近は同僚だけでなく患者さんからも様子がおかしいのではと指摘されて、さあいよいよ困ったな...という感じだ。私の職場は精神科病院。精神の病を持つ患者さんと関わるのはそれだけできっと彼女にとって負担だと思うが、上司が彼女に対し「自分のケアができていないと患者さんのケアなんてできない」と言っているのを聞いて苦笑いしてしまった。たとえ摂食障害が良くなっても、生活のストレスを麻痺させるためにアルコールを多飲したりレッグカットをしたりする私は果たして自分のケアができているのだろうか。自虐的になる。

 

 

ついこの間読んだ臨床心理士である信田さよ子さんの新著、『溺れながら生きる』があまりによかった。信田さんの指摘や筆致はいつも切れ味が良く鮮やかで、その言葉にいつも心が震える。広末涼子さんの不倫報道とそれに続く元夫の記者会見において、"あの会見は彼女を病理化している" あれは"囲い込み"と表現をしたのには膝をうった。また、セックス依存症の項も非常に良かった。自傷的自罰行為としてセックスをする女性達がいること、近年より多くメディアに取り上げられ話題にあがる性加害問題、セックスワークに従事する女性達を説明するのに充分な内容だった。そして母と娘についての項は信田さんのお家芸だ。もう一度丁寧に読み返しながら、他者(患者)の傷はもちろん、自分の傷を説明する手がかりにしたい。

 

 

希死念慮は変わらずにある。もう何年も付き合い続けているのに一向に仲良くなることができない。アルコールの多飲や自傷行為、過量服薬とまではいかないものの多めに眠剤や抗不安薬を飲んでしまうことについて自分を責めることが多いけれど、今にも飛び降りたいと思う自殺念慮を麻痺していると思ってハームリダクションの精神で自分を肯定したい。自分や他人から責められても、何よりも命を守ることを優先しなくては。

 

2026/04/26

 

 

 

数日前から耳と喉の不調が続いたため受診。いくつかの問診や検査を終えて、副鼻腔炎があるのとメニエール病の疑いがあると告げられた。どうやら低血圧や気候も影響にあるらしい。早寝早起きを心がけ、できる限りバランスの良い食事を摂り健康管理に努めていたはずなのに、体調を崩す時は崩す。こればかりはしょうがない。休みめがけて体調を崩すのも可笑しい。よく働くタフな自分が好きなので、体調を崩してこうして寝たきりになる時間が苦痛でどうしようもなく落ち込んだりする。けれど最近はこういう時もあるのだと諦めることも大切なことなのだと思えるようになった。とにかくリラックス。肩の力を抜く。

 

怒りや悲しみの行き場を見失うのも、人と人の境界線(バウンダリー)が曖昧になるのも、どれも自分に余裕がなくその場で足踏みをしているような時。不安と焦燥感に溺れそうな時。そんな頭の中でザーッと砂嵐みたいな雑音が鳴り続けているみたいな不穏な状態の時、それじゃだめだこっちにおいでと引き摺り本来の自分に戻してくれるのは読書。内容が頭に入らなくてもページを捲って文字を追うこと。幼少期の頃から自分の味方も、救ってもらったのも読書する時間だったから。とにかく本を捲る。これだけは忘れないようにしたい。

 

今の仕事も5年目。後輩も増えてきて仕事を教える立場になり様々なプレッシャーに押しつぶされそうになる。そして改めて思うのは1年目の時よりも、今より看護は難しいと感じる。もうどうしたらいいっていうんだよ、と投げ出したくなる。分からなくなる。とにかく日々をこなすことに精一杯で、大事なことを忘れているのではと疑心暗鬼になる。

2025/08/24

 

 

 

 

 

夢を見た。いつも夢を見た時、目が醒めたタイミングではその夢を見たこと自体忘れていて、少し時間が経った後に「そういえば夢を見た」と思い出すことが多い。内容もあまり覚えていなくて、ただ"怖かった"とか"楽しかった"とか"誰が出てきた"とかそういう表層部分しか思い出すことができない。今日の夢は、昔好きだった人と再会する夢だった。本屋かなんかでばったりとでくわし、相手が自分に気づいて声をかける。何を話したのかももう覚えてない。ただとにかくばったりと会ったことしかもう思い出せない。夢だったことに気づいた時は少しがっかりした。もう会わないほうがいいと思って自分から連絡を途絶えさせたので今後も会うことはないけれど、ふとした時にその人のことをよく思い出した。思い出すと、あの時のコントロールできない感情に押しつぶされて苦しんでいた自分を思い出してまた苦しくなる。あの時どうしたらよかったかなあとか。でも恋愛感情とはまた違うような、あまりにも1人の人としての尊敬心や大袈裟だけど信仰心みたいなものがあったので、目の前の困難に対して『彼だったらどうするだろう』と考えることもあったりした。今、私がいろんなことが上手くいってなくて落ち込んでいたからかな。あの人だったらこんな時どうするんだろうな。

 

 

8月下旬。まだまだ暑い日は続くみたいだけど暦の上ではもう夏も終わりに近づいている。今年の夏も暑かった。何度か体調を崩した。でも花火を見たり好きなアーティストのライブを見たり温泉にも入ったり何年ぶりに会う友人とも会うことができた。夏が苦手だからこそ、自ら楽しもうとする心意気が大切なんじゃないかとどこかで思っている。残りも楽しみたいから海に行くのとかいいかもしれない。とにかく限りある時間を後悔のないようにしたい。

 

 

2025/04/21

 

 

 

 

 

『FEMME フェム』という映画を観た。簡単に言うと街中でヘイトクライムを受けた主人公のゲイでドラァグ•クイーンの男性が加害者の(シスジェンダー)男性に復讐を行うイギリスのスリラー映画。加害男性の弱みというかコンプレックスに上手くつけこんだ周到な復讐ストーリーで、あまりにおもしろかった。自分の(後ろめたい)性的指向を隠匿し、トキシック•マスキュリニティなる暴力性で自己を防衛してきた加害男性が1番自尊心を傷つけられるタイプの攻撃で主人公に仇討ちされたのには、トラウマチックな衝撃を感じた。差別と暴力から生まれるものなんて何もないという周知の事実を改めて実感させられる、とても良い映画だった。

 

 

4月も後半。この時期になると桜もすっかり散ってしまうから名残惜しい。改めて思ったのは、はりきってお花見に行って見る桜よりも何気なく街を歩いている時にふと目に入る桜の方がよっぽどきれいだってこと。パートナーと目黒川の桜並木を見に行ったら、見たこともないあまりの賑わい、混雑具合で驚いてしまったのもある。お花見で交通規制なんてびっくりだ。テイクアウトのフード販売も随分並んでいたけれど、シャンパングラスを片手にしている人を多く見かけたのには流石に笑ってしまった。東京の花見はおもしろい。

 

 

厭世主義的な考え方から脱却したい。たまに飲み込まれそうになる時に、親友がそこから引き摺り出してくれているような感覚がある。自分の足で、地に足つけてしっかり立っていないといけないと思う。今年は新人の教育係も任されているし、来月は学会発表もあるから頑張る。あとはできるだけ笑って過ごしたい。

 

 

 

 

 

アップスパイラル

 

 

 

 

気が滅入るような報道、情報があまりに多い。体調が万全でない時にそういうニュースを目に入れたり思い出したりしてしまうとなんとなくバッドに入ってしまう。こういう状態に陥ることには慣れているのでとりあえずはじっと気持ちが鎮まるのを待っているんだけど、やっぱりざわざわ落ち着かなくて苦しいものがある。負のエネルギーが自分の心と身体の中に淀んでいる。今朝夜勤明け帰りに高円寺の好きなカフェで少し本を読み進めながらいつも注文するスコーンを食べたり温かいスパイスティーを飲んだりして気休め程度にリラックスできたと思ったけどやっぱり無理だった。気分を変えるというのは本当に難しい。特にストレスの矛先が食に向いた時には'失敗した'と感じてしまいさらにバッドに入る。気分が落ち込むのは仕方ないとして、そういうストレス対処に走った時にどうにか認知を変えてポジティブな捉え方や切り替えができないものか。患者に伝えていることを私は自分自身で実行することができない。

 

 

今現在世界で起こっているあらゆる問題に対して少し過敏になりすぎている。ストレスになるのならあらゆる情報をシャットダウンして目に耳に入らないようにすればいいだけなのにそれもなかなか難しい。見たくない見る必要のない情報に晒される可能性を考慮してせめてSNSとは上手な付き合いかたをしていきたいとは思っている。それと色んなことは考えるけれど言葉にすることについてもう少し考えることが必要だと感じる。相手にもよるけど大体私は伝わることをどこかで諦めているので言葉にすることをためらってしまう。でも人や時と場合によってやっぱり言葉にして伝えることが大切だとここ最近は特に感じていて、だからといって何でもかんでも思ったことを口にするのは自分にとっても相手にとってもリスキーなのでそこは考えなくてはいけないと思っている。私は我慢に我慢を重ねた結果に色々と爆発して言わなくていいことも時に言ってしまったりする自覚がある。気をつけなくては。怒りの銃を一旦下ろして、その訳を考えながら何を言葉にするかしないかを考える。

2024/12/18

 

 

 

 

 

心がざわつくので今感じていることを文字に起こしてみることにする。今は夜勤の休憩中。12月も半ばでこんなに冷える夜だというのに、せかせか動き回っているからか身体がとても熱い。とりあえず、今自分の中にあるもやもやしたものがなんなのか輪郭が見えてこないのが不安だから、何でもいいので何か書くことにする。

 

ついこの間、『ルイーズ•ブルジョワ展』を鑑賞した。この、なんか知らないけどものすごく有名らしいアーティストを全くもって存じ上げなかった無知な私は、恋人に連れられて六本木にある森美術館に出かけた。六本木のあの都会的なお洒落な街並みに居心地を悪くしながら、展示自体も、あまり期待をしていなかった。しかし結果的に、またあとでこっそりと1人で見にこようと企てているくらいに、ちょっともう本当に、本当に良かった。私もまさか、彼の見ていないところで、こっそりと1人で泣くはめになるとは思わなかった。特に血痕のような鮮やかな赤で描かれた『授乳』という画や、頭部のない男性の肉体が反り返ったようなシルエットの『ヒステリーのアーチ』という彫刻作品の前で、しばらく動くことができなかった。ブルジョワの母性愛への渇望と執着心、家父長制への怒りと抵抗を、自分がいそいそと普段隠して内包していた感傷と重ねてしまっていた。アートや音楽や文学は度々こんな風に私をめちゃくちゃにするから困ってしまう。これまでひた隠してきたというのにむき出しになった自分の心のうちにあたふた戸惑ってしまいその後しばらく余韻が抜けなかった。

 

少し前に28歳の誕生日を迎えた。といいつつ、28歳という年齢に特に何を感じることもなく、へえ、ふうんといったつまらない感想しかもたなかった。数年前はこの年齢になれば、もっと色んなことに焦ったり、怖くなったりして身動きがとれなくなると思っていた。結婚や出産、子育てというライフイベントを遠ざけて、私には関係ないと興味のないというポーズをとってきたのに、結局のところそういったものが私を幸せにしてくれるのではないかという幻想というか、呪いがあった。その上で、そういった社会通念に対して逆らいたくて、自分には関係がないと、ファックと中指を立てていた。そんなこんなで28歳になった今、色んな呪いがはらはらと解けてきて、なんかもう今はそれさえもどうでも良くなっている。したいならすれば。嫌になったらやめれば。そんな難しく、固苦しく考えるのやめれば。28歳の私は自由に楽しく、穏やかに、しなやかに生きてほしいと思う。誰に左右されることのない、私の幸せを見つけて、楽しんでほしいと思う。

 

 

 

本当はもっと色んなことを考えて頭がぐちゃぐちゃしているけど、書くの疲れたので終わり。

 

 

 

 

サイエンス•フィクション

 

 

 

 

 

 

 少し月日は遡るが、7月に宇多田ヒカルのライブを観た。久しぶりに行ったさいたまスーパーアリーナはあまりにも広くて、アリーナ後方の席から宇多田ヒカル本人は少しも見えなかった。少しも見えなかったのに、ただ音楽が鳴り響くだけで、声が耳に届くだけで、心が震えてどうしようもなかった。生きていてよかった。あまりにも特別な美しい日だったので、そっとこの時の感動を胸にしまって、曲を聴くことでたまにとりだしたりしながら生きのびている。愛は光、愛は僕らの真髄。

 

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