2024/4/29

 

 

 

 

 適度に世の中で何が起きているのか知っておきたい自分がいるのに、それが自分の健康を害する程にショッキングな内容だった時に生活が成り立たなくなる恐れがある。やはりSNS含めインターネットとは適切な距離感でいなくてはとデジタルデトックスを試みるけれど、意志弱くそれができない自分に辟易する。気分が落ちている時ほどスマホばかり見てしまうのは何故なのか。別に見たくない、見なくてもいい情報たちに、いちいち心を揺さぶられてしまう。

 ここ1ヶ月ほど食欲が落ち着かない。特にこの2週間は食べたいものがないのに必要以上に食べてしまうことが苦痛。といってもおそらく食べる量は普通量。なのに食べることがつらい。ストレスの矛先が食欲に向いている実感があるのが焦りの原因なんだと思う。こういう時は、途端に自分の身体の肉付きが気になりすぎてしまうのが厄介。10代の時と同様、仕事(学校)や、プライベートでストレスを感じると体型や体重計の数字をコントロールしたくなってしまうが、それらに自分の存在価値を見出さないように気をつけたい。仕事の出来も、恋愛含め人間関係の上手くいかなさも関係ない。まず存在そのものが価値だということを、自分にも分からせたい。

2024/04/18

 

 

 

 東京オペラシティアートギャラリーで催し中の『宇野亜喜良展』に行ってきた。平日の昼過ぎだからか人もそこそこでとても見やすく、かなりゆっくりとひとつひとつの作品を見てまわった。

 

 

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イラストデザインに限らず舞台美術も手掛けたり、展示では立体作品もあったりと仕事が幅広いことに驚いた。何より宇野亜喜良、御年90歳。ちょっと信じられない。長い年月の中で作り出された作品がずらっと並ぶとそれはもう迫力があったし、モダンで耽美でエロティックでカワイイ、繊細な手仕事を見ることができて嬉しかった。

 

 

 

 ここ何ヶ月も上手く本を読むことができなくて苦しかったけれど、ついこの間久しぶりに1冊読み終えて脱却することができた。学生時代は貪るように本を読んでいたというのに、開いたり閉じたりを繰り返しながら、もうずっと同じ本が鞄の中に入っている状態がなんだか虚しかった。良かった。とても安心した。読みたい本がたくさんあるので、焦らずゆっくりを心がけて読書への熱が消えないようにする。

 

 明日も元気に仕事に行く。でもハードルは低くていい。穏やかに毎日を過ごしていく。誰とも比べなくていい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023/12/19

 

 

 

 

 新宿伊勢丹1階のコスメフロアは平日昼間でも人で溢れかえっていて、ブランドによっては商品を見たり購入するのに整理券が配られているようだった。ディスプレイされた限定のホリデーコレクションやクリスマスコフレは煌びやか。フロアを何周もして品定めした結果、イヴ・サンローランでタッチアップしたアイシャドウのパレットとリップを購入した。

 2ヶ月程前に出向いた新国立美術館で催されていたイヴ・サンローラン展で目にした、『ファッションは女性の不安を取り払い、自信を与え、自己を受け入れることを可能にさせる』というサンローランの言葉は、自分自身が持つ着飾ることへの信条をより強固にして、信じさせてくれた。倹約気味で随分モノを買っていなかったが、それからは心がおしまいになりそうな時、洋服やコスメを買っている。シャネルのハイライト、スックのパウダー、フェティコのギャザートップス。信じている。美しい装いが自分自身を守ってくれること、強さを与えてくれることを。明日の朝は早速、イヴ・サンローランで購入したピンクのアイシャドウを使うことにする。

 

2023/12/17

 

 

 何をどうしたらより心と身体を落ち着かせることができるかについて考えている。自分の機嫌ってどうやったらとれるだろう。酒やタバコ、セックスやギャンブルみたいな、脳内麻薬的な快感を渇望するのではなく、もっと穏やかで、柔らかくて、温かくなるようなヘルシーな方法が良いとは思っている。未だにアディクトな金原ひとみに傾倒しているし、お酒も沢山飲んだりするけれど、どうやら27歳になった私は、健康になりたいらしい。

 

2023/11/17

 

 

 起床。微かに雨の音が聴こえる。音楽をかけて少し微睡んだら、ようやく起き上がる。歯磨きをしながら、珈琲を淹れるためにお湯を沸かす。今日はとても冷えそうだ。

 どんなに落ち込むことがあっても、自分を傷つけても、年齢と共に事態を冷静に受け入れることができるようになってきた。そう思っていた。が、友人の顔を見た途端に溢れてきた涙を思い出すと、それらはただの回避だっただけなのかもしれないと思った。悲しいものは悲しい。何度経験しても、傷つく時は傷つく。

 毎日同じように朝は来るし、時間は流れていく。出掛ける支度をして自宅を出る。私には目の前の仕事を含め、やらなくてはいけないことが山積みなんだ。どんなに悲しい出来事に出くわしても立ち止まる訳にはいかなくて、ルーティン的な毎日は続いていく。今、どうしようもなくその毎日に救われている。朝は来る。今日も仕事に行かなくては。

 

2023/10/28

 

 櫻井敦司が死んだ。そのことを知った夜、彼がボーカルとして活動していたバンド、BUCK-TICKの『ミウ』という曲を聴きながら眠りについた。濃いメイクを施した、鋭くて冷たい眼差しで妖艶に歌う姿が好きだった。亡くなったことを未だに信じられないまま、あれから毎晩『ミウ』を聴いている。嫌いだ、今夜もまた眠れやしない。

 残業と称し、患者複数名を引き連れて自助会へ行った。そこで私は医療スタッフとして、今現在の素直な思いを吐き出した。全く分かりません。どうすればいいか分からない。私達は一体、何をしたらいいのか。話している途中で、うっかり涙が出てしまうのではないかと思った。分からないのだ。分からない。どこにぶつけたらいいのかも分からないのだ。依存症の根は深く、掘っても掘っても、終わりがない。けれど、たったの2年でも分かったことがある。それは、依存症の行く末は死。ちゃんと、人が死ぬ病なのだ。

 現在の職場に入職して、もうすぐ2年が経つ。できることや任されることが増えたり、自分でも成長を実感することで自信になったことで、ようやく楽しさが分かってきた。その反面、外野から今にもバーンアウトするのではないかと心配されるほど、入り込み過ぎている。

 どうしたって人は救えない。'救う'なんて大袈裟だし、聞こえが良すぎるし、嘘っぽい。でも私にできることは、もう無理だと追い詰められて、なんか死んでしまおうかな〜とか考えちゃったりする人々の、最後の砦になることなんだと思う。家族は去っていきました。恋人も去っていきました。仕事では信頼を失いました。

 私の勤務する病棟の入院期間は基本的に3ヶ月。それでもたった3ヶ月である。退院後、一本のSOSの電話をかけてもいいかなと思ってもらえる3ヶ月であってほしい。でもできることなんて限られるから、今の自分にできることを精一杯やったら、もうあとは祈るしかない。

 

2023/02/01

 

 

 毎朝化粧をする時に目につく、顎に出来たニキビを見る度に溜息をついている。食生活の乱れだな、と思って改善を試みるけれど、ストレスのはけ口のひとつとしての飲み食いが収まらなくて、その度に少し落ち込んでいる。調子が良い時と悪い時の差が激しくて、悪い時はもう本当に酷く、保っていたバランスを崩してしまうともうぼろぼろになる。

 高校生の時、母が作ったお弁当を捨てていたのがバレて、バレたけれど叱られることもなく、ただ、「食べられなかったら残していいし、小さいお弁当箱にしてもいいのよ」と静かに、少しだけ悲しそうに言われたことがある。なんとなくそのことを思い出したのは、最近久しぶりに母とゆっくり話す機会があって、自分が高校生の時から、母は1人で摂食障害の家族会に通っていたということを初めて知ったからだった。

 どうしても学校の教室に入ることができなかった14歳の時、同時に食べることが恐ろしくなり、みるみる痩せていく身体に安心感を覚えた。そこからあれよあれよと崖から落ちるように、言葉通り堕ちていってしまった。本当に、長い闘いだった。もう10年以上が経過した今現在の感覚としては、職場に必ず1人2人はいるあんまり得意じゃない人と、付かず離れず上手くやっていくにはどうしたらいいかなあ、というようなもの。辛い毎日だった。思い出したくもない10代の記憶は、思い出すこともなくぽっかりと抜け落ちている。

 26歳になった今、また違うベクトルの辛さでもう生きていたくないと思ったり、しょうがない生きてやるかと思ったりしながらなんとか生活を継続させている。お酒に頼ったり、偏食を起こしたり、たまに手首や腿にカミソリをあてることはあるけれど、心と身体のバランスに均衡がとれていることなんて殆どなくて、最初から私はこういうもうどうしようもない人間で、誰のせいでもなく、生まれ持ったどうしようもない性なのだという諦念がある。アディクトな人間がいる。それはもうしょうがないことなんだと思う。だましだまし、それでも生きていければいいと思う。