2022/12/08

 

 随分と肌寒くなり、厚手のコートを着始め、甘めの香水を使うようになった。東京の冬の空は晴れていて明るくて、冬が来た実感があまりない。新潟の冬はいつも曇っていて冷たかった。冷たい冬の夜に萬代橋から眺める信濃川が大好きだった。

 会う予定の調整をしていた大学時代の同級生である親友から「もうだめかもしれない」と連絡が来た。勤務している大学病院の消化器外科が、どうやらコロナの陽性患者で満床になったらしかった。そんな連絡をくれた時、彼女は夜勤最中で、もうだめかもしれないのひと言に、絶望感と夜中も慌ただしく機能する病棟に漂う閉塞感が伝わってきた。

 もう約2年。「そんなに大したことないよね」と話をしたのは、大学4年生の春だった。各国でコロナウイルスに感染した人々が現れ、それを知らせるテレビの画面をぼーっと見ていた。自分達とはなんら関係のない、異国の世界の出来事のように思っていた。それからあれよあれよという間に日本でも感染者が急増し、緊急事態宣言、新たなコロナウイルスの型であるオミクロン株の発見と、まだまだ勢いは止まらなくて。その間に、すっかり時が経ってしまった。そしてすっかり時が経ったことで、当初の感染すると死ぬかもしれない、酷い後遺症が残るかもしれないといった警戒は随分と薄れた。

けれどそんな中でも、今世界がワールドカップで盛り上がっている中でも、コロナの感染者数は減るどころか日々更新されている。医療機関は混乱していて、そんな中、親友は身体を張って働いている。いくつかやりとりをして、「そんなのはいいんだよ、健康で元気でいようね」と返信をした数分後、「ありがとう、生きようね」とだけ返ってきた。生きようね。私達看護師として頑張ってるよね。就職活動も満足に出来なかったコロナ禍の中。まだ未知の医療・看護の世界に、そして未知のウイルスに襲われ、混乱を極めた医療現場の中で、本当に看護師としてやっていけるのか恐怖と不安を抱いたまま、国家試験に向けて勉強をした日々。

実際に働き始めてからも、頻繁に電話をしたり直接会って話をしてきた。私が新卒で入職した総合病院を半年で辞めてしまった時、彼女は箱根の湖を見せてくれた。遊覧船に乗ってその景色を眺めている時間が、人生で1番幸せだったんだよと後で教えてくれた。

 生きようね。未知なる新興感染症にあっという間に侵食されていった日常の中で、私達よくやってきたね。彼女にまた会える日を楽しみに、きっと会えることを願って、目の前にあることをなんとかこなしていく。また会った時には、お互いが書いたインシデントレポートの数を無意味に競ったり、怖い先輩の愚痴を言いあったり、くだらない話で笑えるといい。